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千二百年の昔から、祝いの席を飾り、舞に艶を添え、女性の優美さをひきたたせてきた扇。
そのみやびな風姿はいっそう洗練されて、暮らしに美しい彩りを添えています。
扇は平安時代に京で創始されたといわれています。平安の時代は国風文化が起こってきた時期で、日本文化の源流となるものが次々と生まれました。扇はそうしたなかで創りだされ、文化の成長とともに、材料を板から紙へ竹へと変えつつ、王朝貴族のアクセサリーとして、また伝統芸能に欠かせない小道具として発展していったのです。後には、日本文化を代表する美術工芸として、中国をはじめ遠くヨーロッパへと輸出されるようになり、東洋への憧れを誘うエキゾチックなものとして珍重されました。 |
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プロフィール
宮脇賣扇庵 相談役 宮脇祥三氏
文政6年(1823年)美濃国出身の初代が、当地で扇子の商いをしていた近江屋新兵衛という人から扇子屋の株(鑑礼)を譲られて現在の場所で創業。京扇子の老舗として舞扇や夏扇、飾扇など豊富な美しい扇をつくり続けていらっしゃいます。 |
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檜扇
扇の歴史は古く、平安時代の初期に、当時筆記用紙に代えて使用されていた木簡(長さ三十センチ前後の細長い経木状のもの)から派生し、京都において創作されたのが始まりである。紙が貴重であった当時、紙の代わりに訴えを記し上申したり、種々の事柄を記録したりする木簡が、記録保存用に発展したとすれば、それらをとじ合わせる必要があった。
扇の最初の形式である「檜扇」はここから生まれたと伝えられている。元慶元年(八七七年)の京都東寺の木彫千手観音立像の腕の中から発見されたものが、最古の檜扇と称されている。
檜扇は、檜の薄片を末広がりにし、手もとに要をつけ、先を絹の撚系で編み綴ったものであり、表に金銀箔を散らし、彩絵して束帯などの公の儀式の時の持物であった。
翳という団扇の一種を持っていた婦人も、檜扇を代わって用いるようになり、宮中の女人が常に手にするようになった。
檜扇は、初めから装飾的役割を与えられていて、特に女子用のものは、国風文化が花開く中に優雅さと繊細さを加え、平安時代中期には、三重、五重と呼ばれる数多い橋数(骨数)の扇ができ、草花、人物などが彩られ、美しい彩糸を長くたらしていたのである。
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エルビュー社長冨宅孝子が日本の美をよりすぐって毎回ご紹介します。
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