ピックアップ コンセプト 季節を楽しむ ラインナップ

掲載号

2022

陶芸 TOGEI

日本文化支援特別企画

Artist interview

日本文化を普及するために、様々な伝統芸能や伝統品、
また日本文化を継承する方々を紹介してきました。

土の命を生かす休雪白 エル キャピタン

土の命を生かす休雪白

不走庵 三輪窯

みわ

三輪

きゅうせつ

休雪

 

冨宅:本日は山口県よりお越しいただきありがとうございます。まずは萩焼の歴史を教えていただけますか。
三輪:約430年前に豊臣秀吉が行った文禄・慶長の役で、共に朝鮮に渡った萩(長州)藩初代藩主・毛利輝元が現地の陶工を伴って帰国。萩に窯を開かせたことに始まると言われています。私ども三輪窯は1663年に初代休雪が毛利藩に召し抱えられ、御用窯となりました。
冨宅:萩焼の特徴はどのようなものなのでしょうか。
三輪:高麗茶碗など朝鮮の影響の色濃い焼き物で、高台から上に広がっていく碗なりの形が主流でした。しかし初代と4代目休雪が京へ上り、楽焼の楽家で修業。「国焼き」と呼ばれる筒型で和風の楽茶碗を学び、萩に持ち帰りました。
冨宅:「不走庵」というお名前の由来はどのようなことですか。
三輪:当時8代目(雪山)が、尊皇攘夷派のお公家さんで、萩に逃れていた三条実美公から「不走時流」という揮毫を贈られたのが始まりです。長く家訓としてきましたが、三輪窯200年を機に号を「不走庵」としました。「不走時流」には、「時代に流されず、確固とした信念を持って生きる」という意味が込められています。
冨宅:自分を信じて進むには、真の強さが求められるということですね。
三輪:はい。ことに国が尊皇攘夷に揺れていた時代に、憂国の士だった雪山は時勢を見極め、変革を志した人でした。初代から8代目までを見ても、三輪窯には進取の気概にあふれていました。

伝統を守りつつ
革新を続ける萩焼の名門

冨宅:先代様には、10代休雪(休和)様・11代休雪(壽雪)様のお二人が人間国宝に認定されていらして、お兄様も龍氣生(12代休雪)としてご活躍されていらっしゃいます。皆様が制作される工房にいらして、どのように感じていらっしゃいましたか。
三輪:子どもの頃は遊びほうけていましたが、それぞれの制作に打ち込む姿は記憶に焼き付いています。伯父(10代休雪)はわら灰を使って、俗に「休雪白」と云われる白い釉薬を開発しましたし、父(11代休雪)は造形を追求し、荒々しい釉肌が特徴の鬼萩割高台茶碗を完成させました。兄(12代休雪)はろくろを引いてハイヒールを作るというアバンギャルドな作風で注目を集めました。その兄と私の間にもう一人52歳で亡くなった兄もおりました。伝統を引き継ぎながらも進取の表現を摸索した4人の姿勢は私の心に深く残っています。
冨宅:三輪さんご自身が陶芸家としての将来を意識したのはいつ頃ですか。
三輪:中学1年生の夏休み、東京オリンピックの年(1964年)に、芸大に通っていた兄に呼び出され、寛永寺坂美術研究所という絵の学校で勉強するため、夜汽車で東京へ向かいました。その折、東京国立近代美術館で開催していた「現代国際陶芸展」で、質朴な萩焼とはまったく異なる焼き物を見て衝撃を受けました。その4年後の高校の時は「現代陶芸展」(東京国立近代美術館)でアメリカのポップな作品や抽象表現主義的な作品に圧倒され、海外に目を向けるようになりました。

大自然への畏敬の念を禁じ得ない
「エル キャピタン」

大自然への畏敬の念を禁じ得ない
「エル キャピタン」
雪嶺

冨宅:その後、20代でアメリカに行かれたのですね。
三輪:1975年にサンフランシスコにあるコンテンポラリーアートの専門大学に留学しました。学校そこそこで、オンボロ車で大陸ならではの険しく雄大な自然の姿を求め、グランドキャニオンやカナディアンロッキーなど各地を回りました。中でもヨセミテ国立公園にある、1000ⅿもの一枚岩を見た時に、厳しい自然の中にも生命力を感じ、強く心を動かされました。その印象を形にしたのが、その岩の名前を冠した「エル キャピタン」です。
冨宅:険しい岩壁が雪に覆われているような造形で、スタイリッシュながら、包容力を感じる大好きな作品です。
三輪:ありがとうございます。当時のアメリカは非常に元気で、物質文明の最たる国でした。特にサンフランシスコはヒッピー文化の発祥の地。法を犯す以外は何をやってもよい自由な空気があり、逆にそれをやらなければいけないという思いに駆られていきました。その思いは、帰国後、山口県立美術館に声をかけていただいて実現した「DEAD END」で結実。美術館の中に陶土40トンを運び込んで道路を作り、ガードレールもつけ、ジープとバイクで走り轍をつけた作品となりました。
冨宅:巨大で鮮烈な造形に感動したのを覚えています。その後には大変大きな鉢も作られていましたね?
三輪:韓国の「京畿世界陶磁ビエンナーレ」に招待された時に作った直径1.5mの大鉢郡と、そして「阿吽」。Instagramのmiwagamaで作品を見ていただけます。「阿吽」は実は、焼成の過程で割れてしまった大鉢でしたが、かねてよりやってみたかった金継ぎのコンセプトを作品にしました。車の修理屋さんに相談して、割れた部分は車の凹みを修復する樹脂で固め、フェラーリ用の赤と黒を塗装して仕上げたのです。
冨宅:差し色が美しい大鉢は逆転の発想から誕生したのですね。独創的な作品を手掛けられていますが、制作でこだわられていることはありますか。
三輪:陶器の素材は土。土は大地の賜物ですから、私は自然の姿を壊さずに表現できないかと常に考えています。何かを作ろうとすると得てしてやり過ぎて土を殺すことになってしまうからです。今年、しぶや黒田陶苑さんでの個展で、釉薬を器体すべてにはかけずに作った茶碗を出しました。土を生かすために〝手をかけ過ぎないこと〞に挑戦した作品です。
冨宅:三輪さんのお茶碗はいつも斬新で素敵です。私も丸い真っ白なお抹茶茶碗を使わせていただいていますが、普段のお茶が格段においしくなり、また、先生のお人柄も存じ上げていますので、気持ちが温かくなるのを感じています。
三輪:それは大変うれしいです。ありがとうございます。冨宅さんがお持ちの茶碗は、1300年前に建立された奈良の薬師寺・東塔の基礎の土を使っています。10年程前東塔修繕の際に掘り起こされた土を譲り受けました。その土には年月の記憶が刻まれ、命が宿っているので、極力そのままの状態を保ちたいと思いました。そこで普通、土を粘土化するために土を水に溶かしてこすなど水簸という作業をしますが、薬師寺の土に関してはそれを行わず、土に混じった大小の無数の石ころを助手達と一緒に手で取り除き、残った土だけを使って作りました。
冨宅:大変貴重な逸品なのですね。大切にいたします。こうして制作を続けられて、うれしかった出来事はありますか。
三輪:皆さんが私の作品で喜んでくださることが一番です。先日私の茶碗を求めてくださった方が「これを見ると元気になる」と言ってくださいました。武士が戦場に赴く時に一服の茶を喫したように、その人がここぞという色んなシーンで「三輪の茶碗で茶を飲もう」と手に取ってもらえたら作家冥利に尽きます。
冨宅:多くの方が先生の作品からお力をいただいていると思います。最後に今後の抱負をお聞かせ願えますか。
三輪:作品と私というものは一体のはずですので、私の成長があってこそ作品も成長していくものと思っています。いつの時点でも人間として作家として成長していくことが抱負です。
冨宅:今後のご活躍を楽しみにしています。来年3月には日本橋三越さんで個展をされるとのことですので、またお邪魔させていただきます。本日は貴重なお話をありがとうございました。

三輪休雪

三輪休雪

1951年 山口県萩市に生まれる

1975年 米国遊学 SFAI

1984年 現代の陶芸㈼「いま、大きなやきものに何が見えるか」展(山口県立美術館/山口)

1991年 個展「白い夢」(日本橋三越本店/東京)

2002年 「現代陶芸の100年」展(岐阜県現代陶芸美術館/多治見)

2005年 第3回京畿世界陶磁ビエンナーレ招待出品

2016年 「革新の工芸〝伝統と前衛〟、そして現代」展(東京国立近代美術館工芸館/東京)

2019年 個展「十三代三輪休雪 襲名 雪嶺」(髙島屋/東京日本橋他)

2021年 日本陶磁協会賞金賞受賞